重松清「また次の春へ」

久しぶりに重松清を読む。東日本大震災後の被災地の家族の物語7編が収まった短編「また次の春へ」
重松作品はみんな同じような内容だから云々と女房子供は馬鹿にするのですが、やはり私には捨てがたい作家。ついつい図書館で未読作品を見つけると借りてしまいます。
表題作はじめ、震災で心を痛めた家族などを7編が、重松らしい筆致でつづります。
印象に残った作品は3篇。
「記念日」は、被災地の方にカレンダーを送る話。送る方は3.11以前の日付がない方が良いと考えるものの、被災地の人は過去の一切を流された思いから、3.11以前の日付もついたカレンダーを欲しているということから、被災地とそうでない地区の人間のギャップを感じさせてくれます。
「帰郷」は明らかに福島原発事故への怒りを表した作品。目に見えない毒によって地域社会が崩壊していってしまう情景を描きます。
表題作「また次の春へ」は両親を津波で失ない、遺体も見つからない中で、東京に住む50歳の息子が、どうしても両親の死亡届を出せない心情をつづります。知らない街からダイレクトメールが届き、両親が北海道のある街で自分たちの思い出を残そうとした行為を通じて踏ん切りをつける姿を描きます。
震災をテーマにした作品で、期待感が大きかっただけに、重松作品としてはそれほどの感動を覚えなかったのはなぜか?
今まで震災の悲惨さをさんざんマスコミが伝えてきて、それに慣れてしまったわが身に原因があるのか?
きれいにまとまりすぎているようなところから、感動がわかないのか?
今日はこの辺で。