飛騨の厳しい現実

飛騨への旅3日目。昨日書いたように、民宿の部屋はいまいちでしたが、これが民宿のいいところ。良い体験をさせてもらいました。夕食には飛騨牛、朝食には朴葉味噌を食すことが出来、ご飯もおいしくいただきました。ふただび高山を訪れたときも、民宿「新三」にご厄介になりたいものです。
9時近くになったのを見計らって民宿を後にし、近くにある「飛騨の里」に入場。ここは飛騨地方の古い民家を10数棟を移築し、展示している公園。今回白川郷に行く時間がないので、ここで白川郷の雰囲気を味わうため訪れたもの。合掌造りの民家の特徴は、屋根の急勾配と屋根を支える木材が全て草紐で固く結ばれているということ。白川郷では今でも合掌造りの家に実際に住んでいることを考えると、深い感慨があります。今我々の生活はすっかり欧米風の生活様式になり、家も電化製品が並ぶ様式になってしまいましたが、一昔前までは家族のプライバシーの概念もない様な住宅環境であったことをつくづく感じました。
「飛騨の里」を後にし、再び高山市外へ移動。昼食まで時間があるので、「高山陣屋跡」に入場。高山はなぜか江戸時代幕府の直轄地になり、ここ陣屋で代官が政治を司っていました。中に入ると相当広い建物であり、見がいのある内容でした。
高山市平成の大合併により、つい最近1市9村(?)が一緒になり出来た新しい市であることを旧市庁舎で知りました。面積は東京都とほぼ同じ。しかし、人口は95,000程。東京都の人口が1,200万人ですから、人口密度は何と1/126です。それも旧高山市に人口が集中しているので、周りにはほとんど人が住んでいないようなもの。私は中津川から下呂温泉に入り、下呂温泉から高山に電車で来ましたが、周りは山ばかり、人家は道路や線路沿いにあるだけの風景でした。要は岐阜県の中心は南に偏っており、北の大部分は過疎に悩まされる地域なのです。それを何とか観光で食い繋いでいるのが現実なのです。
昼食は、街の中の割烹「なかさい」というお店に入りました。ここが上品でおいしいなかなかのお店。大正解でした。ここで1時間ほどゆっくり食事してそろそろ東京への帰りのバスの時間が近づいてきました。帰りは平湯温泉から着たアルプスを抜け松本経由中央道の経路。次回は平湯から上高地に抜け、上高地の自然を楽しみたいと思います。3日間の飛騨への1人旅、楽しい思い出が出来ました。妻に感謝の3日間でした。
今日はこの辺で。