「国家は「有罪」をこうして創る」

副島隆彦植草一秀高橋博彦共著の表題ノンフィクション作読了。
公文書を勝手に改ざんするような政権では当然起こりうる犯罪的な冤罪でっち上げ事件、それが当時小泉政権時代に政策批判していた植草一秀氏の痴漢でっち上げ事件です。2004年には手鏡事件があり、2006年にふたたび痴漢事件をでっち上げられた植草氏にとっては、まことに耐えがたき悪夢であったでしょう。
それにしても、前川喜平元文科次官があわやスキャンダルをでっち上げられそうになったことを考えると、時の政権にたてつくと、何をされるかわからない怖さを感じます。
刑事裁判の本質は、決して冤罪者を創ってはいけないことであり、そのために警察・検察の捜査にメスを入れるべき裁判所の存在意義があるはずなのですが、残念ながら日本の刑事裁判は完全な警察・検察追認の場と化してしまっています。その結果は99.9%の有罪率であり、これを維持するがために警察・検察・裁判所合体体制がまかり通っています。
植草氏は、残念ながら2006年の京急電車内での事件時、かなり泥酔していたことは事実のようで、そこに隙があったことは認めざるを得ません。
今もっとも狙われているのは前川喜平氏。おそらく政権の命を受けた警察・検察が、どんな些細なトラブル、スキャンダルでもいいから探し出していることでしょう。そのために、彼を常にマークしているのではないでしょうか。賢明なる前川氏なので、その辺のところは十分に注意しているのでしょうが。