「それでも生きていく-地下鉄サリン事件被害者手記集」

地下鉄サリン事件被害者の会編「それでも生きていく-地下鉄サリン事件被害者手記集」読了。
先日、地下鉄サリン事件23年目の集いに出席し、改めて事件について興味がわき、本書を読みました。
かつて、村上春樹の「アンダーグラウンド」を読みましたが、それに近い、被害者や被害者家族の生々しい手記集です。
死者13名、負傷者6,000名以上を出した、未曽有のテロ事件。その被害者たちは何の落ち度もなく、たまたまその電車に乗車したか、または駅にいたかで、大変な負担を強いられたことが生々しい叫びとして訴えてきます。自分が何で死に至らなければならなかったかを知ることもなく逝った方。その亡くなった家族の虚無感と怒り。被害を受けたことにより、その後の人生を狂わせてしまった方の怒り。事件から3年後の、まだ記憶も新しい時期の手記で、一層生々しい声が聞こえてきました。
亡くなられた方はもちろんですが、重度障害を負って、家族の介護が続く方など、想像を絶する苦境が予想されます。また、体調が回復せず、精神的にも苦しい日々が続き、会社を辞めざるを得なかった方もいらっしゃいます。にもかかわらず、世間の目は、「補償金をたくさんもらっていいね」的な誤解を含んだ言葉を受けることもあったとのこと。実際に「オウム真理教犯罪被害者救済法」が成立・施行したのは、事件の13年後の2008年。それまでは何の支援もなかったことには驚きました。
前にも書きましたが、水俣病などの公害被害者と同じく、加害者側の会社や宗教法人、そして今法律がないことを盾に動こうとしない国や自治体の不作為。
何よりもオウム事件に関しては
地下鉄サリン事件前に何件もの凶悪事件が発生していたにもかかわらず、警察官の情報交換不足や縄張り意識のために、未然に防げなかった警察組織の不作為にはつくづくあきれ返ってしまいます。
今は松本サリン事件で冤罪に苦しんだ河野義之さんの著書を読んでいますが、この感想は後日に記します。
今日はこの辺で。