現実味をを帯びてきた核攻撃

まさかやらないと思っていた核実験を終に北朝鮮がやってしまいました。私の頭の中には「まさかやることはないだろう」としかなかったのですが、そんなに甘いものではないことを思い知らされました。それにしても何故これだけ国際社会が制止する中で実行したのか?
一つ言えることは、これでアメリカもイラクのように先制攻撃を仕掛けることは難しくなったということです。勿論北朝鮮の場合は、中国、ロシアが控えており、イラクのように簡単に先制攻撃を仕掛けることはできない状況ではありますが、国連決議というお墨付きが出れば、先制攻撃も不可能ではありません。しかし、北朝鮮の核保有が証明されたならば、先制攻撃の報復は核攻撃になる恐れがあります。そうなった場合、まず標的になるのは日本になるでしょう。日本国民としては、これは絶対に避けなければなりません。金正日に核のボタンがあるとすれば、国の崩壊と引き換えに日本に向けてセットされたミサイルのボタンを押すことが考えられるのです。これから行われる経済制裁やその他の制裁により、北朝鮮の国家自体の存続が危ぶまれてきたならば、金正日をはじめ、北朝鮮の幹部は何をするか分かりません。いつ核のボタンを押すか分からない状況になってきます。国際社会は、それをさせないために何をやればいいのでしょう?制裁制裁と言ってばかりいては、確かに危険な状況が増していきます。日本は拉致問題を抱え、拉致被害者家族会が盛んに経済制裁を訴えていますが、彼らの苦しみ、悲しみを十分理解した上で、ただ制裁を加えることの危険性も私たちは考慮する必要があるのです。ただ感情だけで判断することはできません。
戦後60年、平和な日本に生きてきた日本人は、初めて新たな核の脅威に目を向け泣けなければならないときを迎えたのです。
今日はこの辺で。