下村敦史「ヴィクトリアン・ホテル」

都内の高級ホテルを舞台にした下村敦史作品「ヴィクトリアン・ホテル」読了。すっかり下村さんに騙された格好になってしまった私。他の読者さんも「まんまと騙してくれたな」と、心地良く騙されたのではないでしょうか。高級ホテルに宿泊、あるいは出入りする人間と、時間軸をトリック風にうまく絡ませた下村マジックとも言うべき作品でした。

登場人物がそれぞれ語るという構成になっており、登場するのが女優の佐倉優美さん、無職で道を外しそうな若者、三木本貴志さん、小説家の高見光彦さん、有名企業社員の森沢祐一郎さん、夫婦で弁当屋さんを営む林志津子さんの5人ですが、実は佐倉優美さんは母親と娘の二人が同姓同名で登場、高見光彦さんはペンネームが三鷹コウでも登場する。そして圧巻なのが30年前、20年前、10年前、コロナ流行の現在という、四つの時代が巧みに配置され、読み返しても時間的齟齬がないところがうまいところ。読んでいて、どうもおかしいな、騙されているかなと思うのですが、最終版まで騙され続けてしまいました。かといって、本作の話の内容がそのトリックだけに特徴があるわけではなく、非常に人間模様がうまく表現され、感銘を受けました。

まず30年前のヴィクトリアン・ホテルで出会うのが、母親の佐倉優美、森沢祐一郎、林志津子夫婦。佐倉優美さんは森沢祐一郎と出会い、一夜を共にする。森沢は当時のバブル景気の中、金と地位で遊び歩く生活であったが、彼女と出会い、その美貌に魅了されるが、人間的な魅力にも触れ、森沢自身の人間性も変わっていく転機ともなる。そんな森沢が出会うのが林夫妻。夫妻は連帯保証人になったばかりに、最後の思い出に高級ホテルに泊まり、ここで心中するはずだったが、故障したエレベーターの中で森沢に必死に説得され、命を救われるのであった。

20年前のホテルでは、高見光彦こと三鷹コウの有名文学賞授賞式があり、先輩の大作家たちから薫陶を受ける姿が描き出される。その中で、フィクションが人を傷つけたり勇気づけたりすることの是非などが語られるが、三鷹は自分の方向性を見出していく。

10年前に登場するのが、文無しになってバイト先のレジの金を盗んでしまった三木本貴志が高級ホテルにきて、金持ちから財布を盗むことを企み、まんまと佐倉優美の財布を盗む。高級レストランで腹いっぱい飲み食いし、盗みがばれてリネン質に逃げ込むが、そこでたまたま佐倉優美と出会い、佐倉の優しさに触れる、人生をやり直す契機となる。

そして現在がホテルのフィナーレを明日に控える日。佐倉優美は林夫妻に出会うが、夫妻の只ならない様子を気にして夫妻を必死に探す。そして最終日、全員が揃って、三木本は佐倉に優しくされたことが救いとなり、そのあとすぐに自首して、今は真っ当に働いていることで、優しさが人を救うことを佐倉は身をもって確信。森沢は佐倉優美に母親との出会いを告白し、父親の可能性を示唆。三鷹コウの助言で佐倉は森沢と話し合うことを約す。林夫妻は30年前森沢に救われ、自己破産しゼロから出発して今があることを告げる。三鷹コウ=高見光彦は20年間書き続けている。三鷹コウが、実は下村敦史自身のような設定にも思えてくる。

巧みな構成で人間模様を描いた、心地よい作品でありました。

今日はこの辺で。