映画「アイダよ、何処へ?」

8月末のアメリカ軍のアフガニスタン撤退は、タリバン政権の復活を早め、タリバンの圧政を予期するアフガン国民の国外脱出騒動を生み出してしまった。これからタリバンによるアメリカへの協力者や反イスラムの人達への迫害も予想される緊迫した状況が続いている。

このタイミングで上映されたボスニア映画「アイダよ、何処へ?」を武蔵野館にて鑑賞。本作は、今のアフガンを想起させるような映画でもあるが、その残虐行為に限っては、アフガン以上のものである。

ユーゴスラビアは、冷戦終結に伴うソ連崩壊に歩調を合わせるように崩壊し、今ではセルビアモンテネグロクロアチアスロベニアボスニア・ヘルツェゴミナ、マケドニアに分裂しており、一応の平静を保っているが、各国の分裂建国時には、民族・宗教の違いから大きな内戦に発展した経緯がある。その中でもボスニアの一小都市、スレブレニツァで発生したジェノサイトと呼ばれる虐殺事件は最も悲惨な事件である。本作は、この「スレブレニツァ・ジェノサイド」を題材にした、緊迫感あふれる映画である。

主人公は国連軍として駐留していたオランダ軍の通訳を務めていたムスリムの主婦、アイダが、夫と二人の息子の家族を守るために必死に動き回る姿を追いながら、当時の国連とオランダ軍のふがいなさや、数年前まで隣近所の付き合いをしていたセルビア人が攻め込んできて傍若無人に振る舞い、ついにはボスニアムスリムの男たちを虐殺する悲劇を描くもの。アイダは通訳として国連の職員扱いで避難できるが、夫と二人の息子は容赦なく虐殺されてしまう悲劇。国連職員でありながら、自分の家族優先で動き回るアイダに対して違和感を覚えるが、一妻、一母親として考えれば当然の行為である。しかし、その努力もかなわず、家族は虐殺されるという最悪の悲劇が実際に発生した事実。虐殺があったのは1995年7月。日本では地下鉄サリン事件が3月にあり、国内メディアの話題はオーム事件一色となった時期で、遠い東欧の出来事の情報は驚くほどに少なく、日本人の多くはボスニア紛争自体へも関心がなかったと言えよう。

本作で誇張があるかどうかは若干不明だが、国連主導でボスニア内戦にはいくつかの国が軍隊を派遣していたが、スレブレニツァにはオランダ軍が常駐して、平和維持活動をしていたのであるが、トップのオランダ軍大佐には何の権限もなく、国連軍とは名ばかり。セルビア軍の言いなりの交渉しかできない状態があったこと。これでは平和維持活動も有名無実。

なお、本作でも実名で出ているセルビア軍将軍ラトコ・ムラディッチは、セルビア潜伏中の2011年に逮捕され、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で虐殺容疑で裁かれ、有罪判決を重ね、その都度上訴し、やっと2020年に終身刑が確定している。

同じく、当時のオランダ軍も民事裁判で告訴され、国家の責任が認定されている。

とにかくこの近代史における重大事件については、この映画を見ただけでは全体像がつかみにくく、少し勉強は必要である。

今日はこの辺で。