一ノ宮美成「自白調書の闇」

フリージャーナリストで、主に関西で活躍する一ノ宮美成著「自白調書の闇 大阪地裁所長襲撃事件「冤罪」の全記録」読了。

2004年2月16日、大阪市住吉区帝塚山で発生した大阪地裁所長おやじ狩り事件で犯人にでっち上げられた青年と未成年の冤罪の過程をドキュメントした作品で、冤罪の典型的な警察・検察の見込み調査の見苦しい貫徹姿勢がよく描かれています。

まず、「大阪地裁所長」がキーワード。警察にとっては、検察と裁判所は刑事司法の仲間内。その大阪の裁判所トップが被害にあったということで、一般人が被害にあった以上に捜査に力が入らざるを得ない事件。ここでも刑事司法の闇のようなものを感じます。「地裁所長が狙われた事件だから一刻も早く犯人を上げろ」という劇が入ったことは想像に難くない。一般人からすれば差別もいいところ。高級人種に対する特別扱いは警察お得意の姿勢。ところが2カ月たっても犯人の手掛かりなし。上もあせるし、一線の捜査官も焦りを隠せない。そこで思いつくのが、「誰でもいいから別件で引っ張って吐かせろ」という警察の見込み捜査。その被害にあったのが成人2人と未成年3人。強引な取り調べで未成年が誘導と暴力で嘘の供述、成人2人が自供の中に含まれたばかりに逮捕される。こうした操作の中には、「自供のみでは有罪にできない」という鉄則は破られ放題。自供こそが最大の証拠とばかり、強引な操作と検察官も警察捜査をうのみにして起訴。その間は拘置所暮らしを強いられる。あまりにも杜撰な捜査だったため、さすがに裁判所は成人二人を無罪とし、未成年については長期間の児相や支援施設での生活を余儀なくされる。最も大きな被害は、一度逮捕されたら、その汚名が消えることがなく全人生に付きまとうこと。当然に5人とも国家賠償を求めて裁判を起こすが、その中でも警察は「今でも犯人と思っている」とうそぶく。国賠では一人当たり300万円の賠償を勝ち取るが、そんなはした金で人生が戻るわけではない。警察・検察の人間は何のお咎めもなし。こんな不正義・不公正があっていいのか。自白を強要し、嘘の長所が裁判に持ち込まれ、それが真実と化して冤罪が発生、というストーリーは、警察・検察の得意分野となりつつある。

そして、真犯人を逃がしてしまうという二重の失敗が繰り返される悲劇の責任は、どこの誰も取らないのでした。

今日はこの辺で。