中山七里「カインの傲慢」

中山先生が臓器売買の闇を題材として書いた「カインの傲慢」読了。

今世の中はコロナ禍で、格差の拡大がさらに顕著となっているといわれる。国連はSDGs(持続可能な開発目標)を掲げ、17項目の目標を掲げているが、その多くに絡んでいるのが第一番目の「貧困をなくす」である。つづく「飢餓」「健康福祉」「教育」等々は、すべて元は貧困に起因するもの。その「貧困」が生み出すものの一つとして、貧者の臓器を不者に移植するという闇のビジネス。ほぼ人身売買に近い重大な犯罪であるが、貧困からの一時的な脱出のために、自らの臓器を売ると言う行為を誘発する臓器売買の闇。勿論日本はもとより、世界中で重大犯罪であることは間違いないが、これをビジネスとしてしまう輩が存在するのは、需要供給の関係からある意味必然なのか?

本作で犠牲になるのは、まだ大人になっていない少年たち。いずれもが貧困にあえぐ家庭で、臓器を売ることになる少年たちで、肝臓を除去された状態で遺体が発見され、そのビジネスに絡む人間たちを、中山作品の主役の一人である犬養隼人が追い詰めていく。

ミステリーではあるが、中山作品が訴えるのは、貧困がそもそもの原因で、それが生み出す闇を描くこと。従って、犯人捜しゲーム的には何ら特質すべき展開はないが、社会性という意味で価値ある作品。

本作で中国の臓器移植について説明している部分があり勉強になった。それは、死刑囚の臓器を死刑執行と同時に摘出し、それを患者に移植する制度があったという点。2015年には廃止されたようですが、死刑囚が罪の償いとして最後の社会貢献を臓器提供し、それを患者に移植する制度。非常に合理的な制度のように見えるが、この制度は長年にわたって物議をかもして来たようです。この制度のおかげで中国の臓器移植は飛躍的に拡大し、移植技術も発展したとのこと。この制度の廃止によってドナー不足が深刻になり、臓器提供を目的とした人身売買が多発するという副作用が発生したといわれる。本作でも中国人少年が来日して臓器摘出手術で死亡した事件を盛り込んでいるが、これは決して中国だけの話ではない。今やOECDの中でも貧困率が下から数えた方が早い日本の現状では、このような臓器売買が鵜網に隠れていてもおかしくない。貧者の命は冨者の命に比べていかに安くなっているのか。

今話題となっているヤングケアラー問題。20人に1人の割合で小中学生が親族の介護などをしている実態が明らかになり、相談制度の拡充などをしていく体制整備がようやく始まろうとしているが、社会の制度を知らない小中学生があえいでいる姿が痛ましい。何より貧困をなくすことから始めなければならないと痛切に感じる。

今日はこの辺で。