日本とドイツの裁判所と裁判官の違いを描いたドキュメンタリー映画「日独裁判官物語」をYouTubeで鑑賞。
今、「日本国憲法と裁判官」と「犬になれなかった裁判官」を読んでいるところですが、その中にこの映画のことが書かれているので、先にYouTubeで探して鑑賞。
この映画を見る限り、両国の裁判所と裁判官は全く違うことがわかります。ドイツも1960年代まではナチス時代の裁判官が残っており、その罪を清算していなかったのですが、1980年代以降は「開かれた裁判所」、「自由で独立した裁判官」が定着していること、それに対して、日本では青法協時代の「自由で独立した裁判館」の流れが1970年代に完全になくなり、最高裁事務総局の保守的・権威主義的傾向が強くなり、裁判所の壁はより高くなり、裁判官の自由はほぼ剥奪された状態に陥っていることが明らかです。
今たまたま国鉄3大事件の一つである「松川事件」について勉強しているのですが、この裁判で最高裁大法廷が8:7の僅差で高裁の有罪判決を棄却したのが、最高裁での最後の民主主義的裁判ではなかったかと思う次第。
それにしても、日本の裁判官ひとりが1年間に処理する裁判件数は200~400件とのことで、1日1件以上処理しなければならない状況であり、これではまともな判断ができるはずはなく、しかも過去の判例と違うような、あるいは刑事事件で言えば検察が起訴した案件を無罪にするような、更には憲法9条違憲とするような判決を下すことが、以後の裁判官人生に不利と分かっている現状では、まともな判決は期待できないことは明らか。
憲法では、最高裁は憲法判断をすると定められているのに、統治行為論とかいう、わけのわからない論法で憲法判断しないなど、その根本的な機能を持っていないとしか言いようがありません。政治的な思想を持つなといった、まるで純粋培養人間を作り出している今の日本の裁判組織では、一般市民の権利を守るという最も重要な役割を果たすことは不可能なことがよくわかりました。
今日はこの辺で。