村串栄一「検察・国税担当 新聞記者は何を見たのか」

東京新聞記者であった村串栄一氏の著作「検察・国税担当 新聞記者は何を見たのか」読了。本書は、東京新聞入社後、主に検察や国税担当記者としての経験を、ほぼ年代順に、関わった検察官や国税担当者の実名を交えて綴ったノンフィクション。

国税」とあるが実際にはほとんどが検察にかかわる内容で、捜査・公訴という強大な権限を有する検察、特に特捜部が各時代の代表的事件に対して、誰がどんな形で関わり、メディアとどう対してきたかなどを詳しく書いてあり、興味満点であった。

村串氏も、NHKを退職した相沢冬樹氏に似た現場派で、人間関係でオフレコ情報を取ってくるタイプに見受けられる。従って、記者クラブを否定する派ではないが、夜討ち朝駆けを含め、人間関係を作り上げてきたのでしょう。特捜部や検事総長経験者とも差し出話してきたような書きっぷりで、存在感を示してきたのでしょう。

検察の場合は、副部長以上の役職しかメディアが接触できないような取り決めがあることが書かれています。実際の操作や公判で汗をかく検事さんには接触するな、その代わり副部長はリーク情報をメディアに流してもいいよ、というような慣習があるようです。そんな情報の中には、記者をひっかけるものもあって、そこの見極めが記者の能力のような世界で、摩訶不思議です。

本書に出てくる検事たちはみなさん、特捜部経験者が多く、検事総長検事長になった方がたくさん出てきますが、やはり検察の中で特捜部は花形なのでしょう。

巨悪を見逃さないという特捜部ですが、その使命が大きいばかりに、どうしても危ない橋を渡ってしまうケース、あるいは時の政権との絡みで、中途半端に事件を終結せざるを得ないケースなど、国民にとっては「果たして巨悪は潰えたのか」と思わざるを得ないケースが多いことも事実。

本書でも少し触れられていますが、三井環氏の告発直前の逮捕など、自分たちの悪事はどんな形にせよ暴かせないという、いやらしさを併せ持つ検察という組織。

確かに政権にとっては、自分の悪事を白日の下にさらす可能性のある検察組織を、何とか掌中に丸め込みたい腹はあるでしょう。黒川検事長定年延長、検察庁法改正案で浮かび上がった政権の思惑が透けて見えました。

いずれにせよ、清濁併せ持つ検察という組織には、これを監視するシステムがないのも事実。それだけに、検察官個々人が、検察組織とも戦う覚悟で事件処理に邁進してほしいものです。

今日はこの辺で。