大坪弘道「勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか」

2009年に起きた郵便不正事件を担当した大阪地検特捜部の、当時の特捜部長であった大坪弘道氏が、主任検事であった前田恒彦氏のフロッピーディスク証拠改ざん事件で、犯人隠避を図ったとして逮捕され、拘置所に120日間勾留されたときに書いた日記風の文書を単行本化した、「勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか」読了。

郵便不正事件は、事件当時担当課長で、逮捕当時は局長職にあった厚労省村木厚子さんを、強引な見込み捜査から逮捕し、163日間の勾留を行い、最終的には村木さんの無罪が確定した事件。

証拠改竄は検察にとっては前代未聞の事件であり、何とか事件のけじめをつけるべく、当時の前田氏の上司である佐賀副部長、大坪部長を刑事処分しなければ収まりがつかないと考えて、無理筋に二人に管理責任を全て押し付けた構図というのが大坪氏の考え。確かに証拠改竄というとんでもないことがなかったならば、村木氏逮捕・冤罪の責任を取ることはなかったでしょう。その意味で、大坪氏の認識は正しいかもしれない。

ただし、本書を読んでいると、なぜ村木氏が完全否認しているにもかかわらず逮捕許可したのか、取調過程に何か問題があることを、特捜部長として認識する機会がなかったのか、フロッピィーディスクの日付は単に操作間違いだったことを疑う余地はなかったのか、こうした疑問があり、特捜部長としての善管注意義務欠如を感じざるを得ない。こうしたことには何ら触れず、最高検との戦いだの、支援者がたくさんいることを強調するなど、自分に否はないという論調が気になりました。

郵便不正事件においては、上村係長が何度自分の単独犯行といっても聞いてくれなかったこと、石井一議員のアリバイ調査もやっていなかったこと等、捜査が極めて杜撰で、検察のストーリーにあった供述を取ることに固執した捜査であったことが後日明らかになっている。本書の最後の方で、村木さんを163日間勾留させてしまったことに反省の弁はあるが、全体的に自己弁護的な論調はいかがなものか。

こうした特捜部の捜査手法や、組織防衛のためには何でもやる検察という組織は、捜査・起訴という絶大な権限を有し、少し強引にやっても構わないという自己抑制力が欠けていることは確か。大坪氏も「懺悔」として、いつの間にか検察という権力に麻痺していて、被疑者への配慮を欠いていたことは後悔していますが、検察権力というのは、一種の魔力となってしまうのか。

検察庁法改正案は、検察の独立性阻害という懸念から反対世論が盛り上がり、採決断念に至りましたが、これはこれとして、検察の自浄作用なり自己抑制作用なりを別途設ける仕組みは、やはり必要ではないかと強く認識しました。

今日はこの辺で。