高橋ユキ「つけびの村」

フリーライターで、裁判傍聴記などを主に書いている高橋ユキ著「つけびの村」読了。2013年に発生した山口県周南市限界集落での放火殺人事件を追ったドキュメント。

当時14人しか住人のいない集落で、5人もの人が殺された事件として世間を騒がせましたが、村八分になった住民による犯行ということで話題にもなりました。本書は、本当に村八分があったのか、何か少ない住民の間で軋轢があったのかを現地に取材したもの。私が本書を読んだきっかけは、テレビドキュメンタリーを最近見たことからですが、やはり映像の方がわかりやすかったのは事実。

実際に村八分のようなことがあったのか否かについて、著者ははっきり断定していませんが、Uターンで帰ってきた独身の男が親の面倒を見て、その両親ともに亡くなり、働かずに貯金を取り崩す生活。大音響で音楽を流したり、暴言を吐いたりして住民との軋轢は広がる一方。狭い狭い集落で、村八分になっても当然のような行動をとっていては、村八分もやむを得ないとも感じます。

それにしても、かつては小学校がこの地区にあり、全盛期は100人以上の生徒がいたとのことですが、今は子供はゼロの完全な限界集落。こうした狭い社会は日本全国にどれだけ広がっているのか。地域コミュニケーションの大切さを思い知ります。

著者が言うように、最初は単行本化や雑誌掲載などは編集者から無理と言われた通り、インパクトなど何もない内容。たまたま有料WEBで掲載し、何かの拍子に話題になって単行本化が実現したとのことですが、ノンフィクションライターとしての実力の限界か、あるいは題材そのものに意外性がないからか、売れる本ではないと感じた。

結局、犯人の精神的な病気が原因である要素が一番大きいのですが、裁判では犯行時責任能力ありと判断され、最高裁で確定している。精神鑑定で無罪になる人ならない人の差は紙一重=裁判官の判断次第。この事件の場合は、5人という被害者の多さと話題性で、死刑判決とせざるを得なかったと判断せざるを得ない。

相模原障害者施設大量殺人事件の犯人もそうですが、被害者の数や残虐性と、マスコミ・世論の動向が判決を決めているのが日本の裁判ではないか。犯人の異常性を察知し、早めに拘束状態に置くことができれば、こうした犯罪も防げるのでしょうが、人権問題もあり難しい課題です。

今日はこの辺で。