浜田寿美男「自白はつくられる」

心理学者の浜田寿美男氏著「自白はつくられる」読了。

10連休で3冊は本を読もうと決意していたものの、なかなか進まず本書が第一冊目。

浜田氏は心理学者として、特に冤罪事件の被疑者の自白について研究し、多くの冤罪事件の自白に至る被疑者の心理的変遷などを研究し、かつ実際の冤罪裁判の自白に至る鑑定書を数々手掛けてきた第一人者。本書を読む中で、ほとんどの日本の裁判における代表的な冤罪事件で鑑定書を作ってきたという実績があります。

それにもかかわらず、実際の裁判で裁判官から証拠として採用されるケースが極めて少ないこと、そして、裁判官は被告人の心理状態を専権的に判断する唯一の人間であるこちを間違って自覚していることを痛烈に批判しています。もっと自白過程の被疑者供述の変遷を読み取っていれば、冤罪事件は発生しないと述べています。こうした浜田氏の怒りが随所に読み取れます。

浜田氏の論調はほとんど同調できるのですが、気になる点もあります。それは、捜査側、すなわち警察・検察は自白させることを目的に厳しい取り調べを行うのですが、いったん自白させた後の供述に対して、例えば殺人事件であればどうやって殺害したのかといったプロセスを被疑者がうまく供述できないことに関して、本来は無実であることを疑うべきところ、疑わずに誘導的に供述させることに関して、取調官を善意にとらえていることです。自白した被疑者の無罪性について頭が回らないかの如く善意的にとらえていますが、私は絶対に本当は疑わしくとも、でっちあげてでも0犯人にしてしまおうという故意があるはずだと考えます。特に警察にとっては、自白を取ること、すなわち落とすことは最大の使命。これを自ら覆すことは、彼らにとっては自殺行為のようなもの。どんな手を使っても自白を維持させるはずです。

本書を読んでいて思ったのは、警察というところはやたらと〇〇賞という表彰が多いということ。そうやって警察官を鼓舞して、犯罪者を上げることを奨励しています。郵政の保険ではありませんが、いわゆるノルマのようなもの。こうした警察の体質にも冤罪を作り出す原因があるように思います。

自白偏重の日本の取り調べと裁判は、いつまで続くのか?本書を読んでいる最中に、ゴーン氏の国外逃亡という大事件が発生しました。100日以上の身柄拘束と15億円の保釈金、それでも日本での不当な扱いから一日でも早く脱出したかったのでしょう。ゴーン氏の犯罪がどれだけ真実なのかはわかりませんが、レバノンにいる限り、日本に来て裁判を受ける可能性はないようです。日本特有の代用監獄制度、自白しない限りは釈放されないというのは、犯罪を犯していない者にとっては、これほど理不尽なことはないでしょう。

今日はこの辺で。