郷原信郎「青年市長は”司法の闇”と闘った」

弁護士の郷原信郎氏著で、全国最年少市長であった美濃加茂市長、藤井浩人氏の収あい事件裁判を追った「青年市長は”司法の闇”と闘った」を読了。

現金での贈収賄事件は確かに、物証が残らず、特に当事者だけでやり取りがあった場合は、証言だけが決め手となる事件。したがって、そこには警察・検察の恣意が働き、裁判官もまた、主観的な判断で判決を下すことが大いにありうるもの。

美濃加茂市長事件はその典型ですが、郷原さんが主任弁護人となって一審は無罪を勝ち取りながら、控訴審ではまさかの有罪、そして何もしない最高裁は有罪判決を支持という結果。本当に日本の裁判の闇を感じる事件です。

贈賄者は札付きの詐欺師中森氏(仮名)で、災害時の水確保のための浄水プラント装置を市議であった藤井氏に売り込み、藤井氏は純粋に災害対応に資すると考え、市長当選後に試験的に無償にて装置を設置したのが発端。

その後、札付きの詐欺師中森が詐欺罪で逮捕され、逮捕中に藤井市長に2回にわたって計30万円を賄賂として渡したと証言。そこから俄然検察は小さな市ではあるものの、全国最年少市長として売り出し中の行政トップの収賄事件を無理筋で提訴。その裏には、4億近い詐欺を働いたものの、立件は2千万円だけで、中森には入念に証言の調整を依頼した疑いが出てきました。そして一審では、札付きの詐欺師の証言と、まともな市長の証言を比較衡量し、無罪という当然の結果を勝ちとりました。

しかし、控訴審では市長の証言も聞かずに有罪、最高裁でも有罪という闇になりました。

日本の司法、特に裁判官が最高裁と検察の言いなりになる構図は何度も私も書いてきましたが、この裁判も典型。贈賄側の中森の裁判では、詐欺と贈賄罪で懲役が確定していました。贈賄は確定判決となっていましたが、収賄側の一審は無罪判決。判決が分かれてしまうまれな状態となりました。すなわち、どちらかが誤判の状態というわけです。最高裁としては、こうした状態を放置できないのではないか?郷原さん以下弁護団は誰もが疑いを持っています。控訴審のやり方が極めて恣意的で、一審無罪を覆すための審理をまったく尽くしていない状態で逆転有罪を言い渡しており、最高裁も、自らがかつて示した「一審で無罪の控訴審は実質的な審理を尽くさなければ有罪にできない」という判例を破っているのです。海外では一審で無罪の者はそこで確定するのが常識ですが、日本の司法はそうなっていないのが実態。

控訴審で有罪判決を下した裁判長は、かつて静岡地裁袴田事件の再審を決定し、即刻釈放を命じた裁判官。そんなリベラルっぽい裁判官ながら、こんなひどい判決を出すとは全く残念。

今日はこの辺で。