映画「親愛なる同志たちへ」「パーフェクト・ケア」「皮膚を売った男」

映画「親愛なる同志たちへ」「パーフェクト・ケア」「皮膚を売った男」

映画三題まとめてレビュー。

4月19日(火)、新宿武蔵野館にてロシア映画「親愛なる同志たちへ」鑑賞。今現在進行しているロシアによるウクライナ侵攻。1991年にソ連邦が解体し、今のロシアとその周辺国という国家体制が出来上がったが、30年後の現在、NATOの東方拡大が進み、また、EUへの加盟も加速度的に増えてきた現実は、如何にソ連邦=ロシアの圧力から逃れたいかという東欧や旧ソ連邦諸国の念願ではないかと私は見ているのであるが、アメリカ嫌いのリベラル派を中心に、「ロシアも悪いが、米欧も悪い」という論を盛んに説いている。特にネオナチへの評価については、ウクライナへの批判も大きいのが気になるところ。

そんなソ連邦解体前の1962年6月に実際に発生した機関車工場での労働者のストライキに対するフルシチョフ政権の弾圧と、共産党員で町の幹部でもある女性が、ストライキに参加して行方不明になった娘を必死に探し回る姿を描く。このストライキ騒動で政権は報道統制を敷いて、かつ銃撃して多数の死者も出した事件で、事件そのものが明らかになったのは相当後になってから。如何にソ連時代の暗部が隠されていたかがわかる映画。

アメリカ映画「パーフェクト・ケア」は、「ゴーン・ガール」で準主役を演じたロザムンド・パイクが主演する詐欺映画。今アメリカでは、本人が知らないうちに認知症など判断能力がないと裁判所で認定されて施設に収容され、後見人となった詐欺師に財産を奪われるような事件が相次いでいるとのこと。そんな詐欺事件の後見人として悪事を働くのがパイクさん。したがって、観ていて憎らしいような役柄で、騙された老人を応援したくなる前半。しかし、たまたまカモとした老人の後見人になったがために、命の危険にさらされる展開となる。その女性のご老人の息子が、実は暗黒街のボス的人間で、母親を奪取するために暴力的な行動に走り、パイクとパートナーの女性は死のピンチに陥る。そんなピンチから逃れ復讐を図り、最後はその息子と後見人ビジネスを拡大する結末。と思いきや、こういったビジネス自体が反社会的行為であり、この映画の監督はパイクを許してはくれなかった。

「皮膚を売った男」は、チュニジアの女性監督の作品ながら、非常に奇抜で痛快な映画。「もしも生身の人間が芸術作品となり、売買の対象になったら」というテーマ設定で、シリア難民の男の背中に、芸術家がタトゥーを彫り、それを芸術作品として展示・売却するという、いわば非人間的行為を描く。シリア青年は、大金と自由を手にするためにこの話に乗り、シリアを脱出してベルギーへ。そこでかつての恋人で今は外交官の妻となっている女性とも再会する。実際に人間の背中の芸術がオークションにかけられ、500万ドルの値を付けるのであるが、青年は今までの非人間的扱いへの抵抗から、オークション会場で一芝居(自爆行為の真似)うち、その行為のおかげで国外追放となりシリアに帰還。シリアでISに殺される芝居もうち、芸術家と保険金を山分けしてハッピーエンド。

この背中の芸術に保険が掛けられるというのもミソで、青年が早死にすれば所有者は大儲け、長生きしたら損するという設定。こうした非人間的扱いをシリア人だからこそ受けるのか?屈辱の何物でもないだけに、最後の騙しは痛快でした。

ちなみに、93回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたのも頷ける、なかなか面白い作品でありました。

今日はこの辺で。

雫井脩介「犯人に次ぐ2 闇の蜃気楼」

雫井脩介作品は「望み」以来約4年ぶり、「犯人に次ぐ1」を読んでからは15年ぶりとなりました。雫井と言えば「火の粉」という傑作がありますが、今回読了した「犯人に次ぐ2闇の蜃気楼」もなかなか読み応えがある、面白い作品でした。

主人公は神奈川県警の名物刑事の巻島刑事となるのでしょうが、この作品に限っては、犯罪者側の淡野、砂山知樹・健春兄弟、特に淡野という天才詐欺師が最大の主人公の趣。

砂山知樹は就活に苦労したものの、同じ横浜にある老舗菓子メーカーに就職が内定する。しかし、その菓子メーカーが製品偽装の不祥事により営業不振となり、内定取り消しの憂き目にあい、その後フリーターのような生活をおくっていた。そんな知樹に旧友の仲間から振り込め詐欺犯罪への誘いがあり、そこで淡野と男と出会う。知樹は健春と振り込め詐欺で稼ぐ生活を送るが、やがて神奈川県警の巻島刑事が率いる特殊犯に摘発され、知樹兄弟は運よく逃亡し逮捕を免れる。その後バーテンダーをしていた知樹の下に淡野が何度も現れ、振り込め詐欺と同じ手法で誘拐ビジネスへ勧誘される。根が犯罪者ではない知樹は何度も断るが、今のままでは一生浮かばれない人生となることを憂い、かつ淡野という男への信頼からその話に乗る。淡野の計画通り最初の誘拐ビジネスを成功させ、次のターゲットとして自分の内定を取り消した菓子メーカー社長の誘拐を淡野に持ち掛け、淡野は情報をどこからか集め、綿密な計画の下に社長本人と小学生の息子の誘拐を行い、社長である父親に言い含めて釈放し、そこから主に犯罪の頭脳である淡野と巻島刑事の頭脳戦と起動戦が始まる。社長は釈放時に身代金の授受方法について淡野から指示され、息子の釈放を第一に考え、最後まで警察には真実を言わない覚悟ではあったが、過去の不祥事の経験から犯罪者との取引には迷いがあり、土壇場で真相を警察に告白して、最初の身代金授受は失敗に終わる。しかし、淡野はそれも織り込も済みで、次なる手段として正に振り込め詐欺的の偽電話作戦で、警察や社長たちを翻弄し、まんまと授受に成功。しかし、それで終わっては犯罪者が勝利を収めることになり、雫井氏はそれをよしとしなかったようで、意外な見張り役が活躍して、知樹兄弟はお縄となる。

本作を読んでいるうちに、読者は犯罪者側である淡野、知樹兄弟を応援したくなり、何とか警察に一泡吹かせてやりたい気分になるから不思議。淡野という天才的な詐欺師、知樹兄弟、いずれも憎めない性格であり、神奈川県警の曽根本部長はじめ一課長、巻島含め、警察には負けるなという感情移入が起こるのである。勿論私だけの感情かもしれないが、権力者に対する弱者の抵抗を見る思いで、痛快感を感じるのである。一つの望みは、淡野は直前に隠れ家から出ていたため、警察に捕まることはなかった。そして知樹兄弟も淡野の素性を告白することはないはず。したがって、次作では再び淡野と巻島の戦いがあるのではないかと期待する。

話はそれますが、本作のはじめの方では振り込め詐欺の実態、いわゆるマニュアルに沿った犯罪が行われる場面が描かれる。「どうして騙されるのか?」と被害者を非難する人もいるが、これだけ周到な脚本が出来上がっていれば、少なからず騙されてしまうのも仕方がないかと思った次第。徹底的に騙す手段として、追い打ちで仕掛けて信じ込ませるテクニックが披露されています。本作の身代金の授受の場面、社長秘書の黒木に淡野が社長の声で、6:30に会社前で身代金を渡すように電話で指示。その直後知樹が警察官を語り。後ろからバイクで追跡しているので渡してもよいと電話で追いうち。最初の社長の電話を警察に知らせようか迷っていた黒木にとって、警察からの電話は、その迷いを吹っ飛ばす効果がありました。これでは信じない方がおかしいというような騙しのテクニックが存在することを、我々は知っておかなければならない。それを知っていても騙されそうですが。

今日はこの辺で。

伊兼源太郎「巨悪」

横山秀夫調の硬派サスペンス作家、伊兼源太郎「巨悪」読了。一週間ほど前に読んだ伊兼作品「金庫番の娘」の姉妹編のような作品ながら、登場人物は与党実力者の馬場と、特捜部長の鎌形、美人検事の髙品が出てくるぐらいで、その他は一新された人たち。

東京地検特捜部VS政官財の巨悪の戦いを描く420ページの巨編ながら、中澤検事と城島捜査員(検察事務官)という二人の幼馴染の友情も描く構成。

2018年の書下ろし作品なので、最近あった自民党議員の顔写真入りの団扇や香典などの、政治家から選挙民への贈答行為と同じような、本作では名前入りにタオルの贈答があったとの告発があり、東京地検特捜部が動くことに。美人の誉れ高い髙品検事を主任として、中澤検事、中澤の親友でもある城島捜査員などが捜査を開始する。証拠読みの中で、与党の西崎議員の帳簿から和菓子の領収書が頻繁に出てくることを城島が気付き、これを端緒に大きな贈収賄事件に捜査が進展していく。捜査の途中で政治家の秘書を取調途中で秘書の自殺があり、更には東日本大震災復興予算がらみの企業と政治団体の会長、事務局長も謎の死を遂げる事件も発生。復興予算が不正に支給され、それが裏政治献金になって政治家に還流するという巨悪の構図が、ワシダ運輸という会社の専務の口から中澤が証言を受けることで、巨悪にせまろうとしていく。更には、かつて中澤の妹が何者かに殺された事件についても、今後明かされていくであろう、一筋に明かりを残した形で終了する。

あくまでフィクションではあるが、政官財がこぞって震災復興資金の支出処を探し出し、それを消化せんがために、見積もりなど無関係に高額で発注し、それが元請け・下請けに限らずバラマキとして批判された除染作業の予算消化を思い出す。除染に限らず、復興予算が、全く関係のない事業にも使われ、それがまかり通ってしまった現実があることを思うと、この物語は決してフィクションで片づけられない内容を含んでいることに気づく。福一原発事故に伴い各地の原発の工事予算が膨らんだが、関西電力の、立地自治体助役が絡んだ不祥事もその中の一つで、電力会社の役員・社員に還流していたお金も財の分野では発覚した。

結局力のある所には金が集まるという日本のシステムが生んだ悲しむべき事象であるが、本作の最終章では、東京地検特捜部の大いなる役割が謳歌される描写があるのは、どうも解せない。実は特捜部こそ前例踏襲などの障壁に自らを貶め、肝心のモリ・カケ・サクラなどの疑惑に何ら突っ込むことができなかったのである。2018年当時は既にモリ・カケは問題になっていた時期のはず。巨悪を逃しているのは特捜部自身であり、特捜部の膿を出すことが巨悪をなくすことの早道でもあると思う次第。以上は私に私憤でした。

今日はこの辺で。

2022年4月東北・信州温泉旅行記

大人の休日倶楽部パスを利用した温泉旅行旅を4月14日(木)~17日(日)の3泊4日で行ってまいりました。

今回の温泉地は、秋田の日影温泉、新潟の瀬波温泉、信州の湯田中温泉

東北地方での地震の影響で東北新幹線が一部不通になっており、全線復旧が4月末ごろとのことだったため、予定変更し新潟周りの新幹線の朝6時の列車の指定をとったのですが、幸運にも14日から全線開通となったため、東京7:16分発のはやぶさ号で新青森経由、弘前に昼の12時に到着。昨年も同じ時期に弘前に来て、ほぼ満開の桜を弘前公園で満喫したのですが、今年は残念ながらつぼみ常態。昨年が異常に温かかったのでしょう。

丁度昼時なので、昨年と同じく藤田記念公園内にある大正浪漫喫茶室で昼食。大正ロマンというだけあって、外観・店内とも情緒があり毎年来たいところ。セットのランチをゆっくり食べて、いざ公園内へと外に出ると雨が降っていました。今年は桜も咲いておらず公園内の散策は諦めてタクシーで弘前駅へ。駅内の喫茶で時間をつぶして、各停で奥羽本線陣場駅下車。日影温泉の送迎車で温泉に到着。かつて日影温泉は「日本秘湯の会」に入っていて、10年程前に一度宿泊したことがあるのですが、今は経営が代わり、かなりハイクラスの旅館に生まれ変わっていました。建物自体はそのままなのですが、内容が一新されて、非常に優雅な空間となり、部屋も広々として居心地満点。10年前に付近を散策したことから、今回も妻と一緒にハイキングコースへ。ところが、なかなか下へ降りる道にたどり着けず、妻はおかしい、おかしい、戻った方がいいよと盛んに不安がります。そしてついに道がなくなる場面に遭遇。妻の言う通り急いできた道を戻ることに。行は私がハイペースで歩いたのですが、帰りは妻がすいすい走るように歩き、攻守逆転。以後今回の旅行では妻に頭が上がらない立場となってしまいました。

さて、日影温泉の新しい経営者は割烹を営む方らしく、料理旅館のような豪華な食事が供され、食事と白濁の温泉には大満足。また来たい旅館です。

2日目は碇ヶ関駅まで送ってもらい、碇ヶ関から羽越線で秋田、秋田からは各停で酒田、酒田から再び特急で村上駅村上駅から旅館送迎車で瀬波温泉「吉田や」到着。弘前の桜はまだ開花前でしたが、南下するに伴い次第に桜が咲いてきて、瀬波温泉では丁度満開。南北の気温差の違いが鮮明に感じられます。若干の雨模様の天気でしたが、海岸へ散歩。金曜日の4時前なのでまだお客さんもほとんど見かけません。新潟県もコロナ感染者が直近で最多を更新するなど、まだまだコロナの影響もあるようです。

吉田やさんは瀬波温泉にあってはこじんまりした旅館ですが、家族的な経営で、親しみのあるおもてなし。貸切風呂にも自由に入れるので、温泉を満喫。お料理もおいしくいただきました。

3日目は村上から特急で新潟、新潟から高崎経由長野、長野から長野電鉄で終点の湯田中へ。渋温泉は過去に2回来ていますが、湯田中温泉街は初めて。「加命の湯」さんは、湯田中では最も小さい旅館ということで6部屋のみ。ただ、こちらの旅館は、湯田中の代表的な温泉旅館である「よろずや」の姉妹店ということで、外観は木造で古い感じがしますが、お部屋はとてもきれいでモダン。夕食は歩いて2分の「よろずや」でいただく趣向。個室が用意され、一品一品提供されるお料理は、どれもこれも満足。朝食は「加命の湯」の広間でいただくのですが、料理はよろずやから運ぶとのこと。朝食は3泊の中でここが最高でした。また、よろずやのお風呂も無料で入ることができ、特に「桃山の湯」は文化財に指定されているお風呂。翌日の朝入浴したのですが、露天風呂と内風呂のスケールの大きさと趣に圧倒されました。この入浴を経験しただけでも、儲けもんでした。

初日に山をハイキングした影響か、翌日から3日目まで足・腰が痛くて、階段の上り下りも手すりに掴まってやっとの常態。最終日は長野善光寺の御開帳見学の予定を私一人は諦めると思いましたが、一晩眠ってずいぶん回復していたため、善光寺へ。日曜日でもあり、さすがにたくさんの人が詰めかけていました。さすがに、これだけ人が集まれば、長野県もコロナの感染が多いはず。

長い行列もできていたため、お参りだけして中には入ることなく、そばを食べて帰路につきました。

今回の旅行は、私の体調面の不調で100%ではなかったですが、宿泊した旅館での食事・温泉・もてなしは、いずれも素晴らしく、大満足でありました。

今日はこの辺で。

下村敦史「失踪者」

下村氏は「生還者」でも雪山登山を扱った作品を書いていますが、雪山登山作品第二弾の「失踪者」読了。

主人公は、本書の語り部となる山岳カメラマンの真山道弘だが、もう一人の重要な主役は、真山の親友であり、最高のクライマーである樋口友一。樋口は孤高のクライマーであり、「失踪者」としての大きな役割を担う。

真山と樋口の出会いは、大学対抗の冬山登山で、真山に装備品を樋口が貸したことから始まる。樋口は既に確かな登山技術を持っていたが、孤高がゆえに友人がないような男。その樋口に近づいて真山は無二の親友かつ登山のパートナーとなり、二人はK2登頂の計画を立て、一層親密となり訓練を重ねていく。本作は時代が前後して真山が語り部となって進行するのであるが、最初の場面は真山が10年前に遭難した樋口の遺体を探しに行き、そこで樋口の遺体を発見。その遺体は本来10年前の風貌のままのはずが、年を取っていたことから、樋口が10年前には遭難していなかったことが分かる。真山がその謎を追う形で話が進展していく。

真山は登山用品の販売部門に就職し、樋口はアルバイトを掛け持ちして、頻繁に逢って計画を練り、訓練を重ねるのであるが、真山の会社が傾き、配属替えがあったため、K2挑戦の断念を告げざるを得なくなり、二人の関係も薄れてしまう。その後、樋口は単独でK2制覇に成功するが、あまり話題にもならず、クライマーとしての活躍がなくなるのであった。本作のもう一人の重要な登場人物が、榊知輝という若いクライマー。8000メートル級の14座すべてを短期間に征服することを目標にする男だが、ここに登場するのが山岳カメラマンとなった樋口。そして何故か樋口はいずれの登山でも途中で高山病を発生させ、榊の単独登頂となる。この辺で、読者は榊ではなく樋口が代わって登頂したのではないかと想像するのではないか。その点はどんでん返しもなく、その通りになるのだが、他に落ちは考えられないのでよしとしましょう。

樋口は10年前の滑落時は、自分の技術で生き延び、その間、谷本勇一の名前で高峰に上っていたことを真山は突き止め、谷本の足跡を求めて、自らも山岳カメラマンとして生きていくことになる。

本作は、冬山登山という、生命にかかわる究極の中で、友情の大切さと、功名心の危うさを描いているところに主題がある。樋口友一というクライマーの生き様は、決して功名心を持たず、最後まで友情を大切にした男の物語である。

冬山登山の用語がたくさん出てきて、皆覚えることはできそうもないので、その辺の描写はスキップして読んだのですが、話の展開が面白く、4月14日から17日までの3泊4日の旅行中の電車の中で読み終えることができた素晴らしい作品でありました。

今日はこの辺で。

伊兼源太郎「金庫番の娘」

伊兼源太郎さんが政治の世界を描いた「金庫番の娘」読了。政治家、特に国会議員にとって秘書は極めて重要な存在。政務担当秘書とか公設秘書とか私設秘書などの言葉をよく耳にしますが、本作で最も重要視される秘書は財務担当秘書、すなわち政治家の金庫番である。政治資金規正法違反事件がよく取り沙汰されますが、公職選挙法と並んで政治家のお金に関する事件で最も多く出てくる法律で、政治家の進退に関わる問題が頻繁に出てきます。中には、金庫番と称される秘書が責任をとって自殺する事件もよく耳にしました。その意味で、政治家にとっては最も信頼のおける秘書をその地位に置くとされます。

本作品の主人公は、大手商社でレアアース開発プロジェクトに携わった経験のある藤本花織さん。花織さんはそのプロジェクトで、相手国の役人から賄賂を要求された上司の課長が、本社の上司の了解のもとにその要求に応じ、プロジェクトを軌道に乗せたものの、その賄賂が発覚、司法取引の結果課長は有罪判決を受け退職。法人としての会社は無傷に終わったことから、花織さんも責任を感じて退職し、父親が金庫番として仕える政権与党の派閥親分である国会議員、久富隆一の秘書に就くことになる。そこから、花織さんの政治への関与が始まる。

久富は70歳を目前にして党の総裁選挙に立候補するが、いわゆるキングメーカー的な実力者である馬場の子分である現総裁に敗退。馬場はことごとく久富の失脚を狙う守旧派的存在。それに対して久富は、何とか弱者寄りの政策に舵をとろうとする議員で、花織はその政策を実現すべく、馬場の弱点を探して、切り込んでいくのであった。そしてラストでは、花織が若年ながら政治家以上のしたたかさで、馬場の追い落としのカギを見つけ、かつて司法取引でプロジェクトの課長を有罪にした有馬検事に重要情報を与え、馬場が追い込まれる余韻を残して物語は終了する。

久富は派閥領袖であることから、派閥の仲間への選挙対策資金や、夏冬のボーナスに当たる氷代・モチ代を払うなど、決して政治資金規正法的には決してクリーンではないが、自分の私腹を肥やすようなことは一切していない人物。そんな久富の政治家としての矜持を是として、花織も裏帳簿を否定するのではなく、したたかに政治家秘書として親分をフォローしていくことを選択するのであった。

久富には息子の隆宏がいて、彼と花織は幼馴染の仲。花織さんの方が作中ではよっぽど政治家にふさわしいと思われるが、政治家はもしかしたら秘書などの優秀な部下を信頼して、その話によく聞いて、庶民の声を吸い上げ、それを国会や普段の政治活動で訴えていくのがすぐれた政治家かもしれない。安倍政権が長期政権になった理由として菅官房長官が内政全般に目配りしたからと言われますが、安倍・菅の人間性や政策はともかく、信頼して任せることの重要性だけは教えてくれました。

花織さんは隆宏が久富引退後はカバン・看板・地盤を引き継いで二世議員となり、花織さんのバックアップで将来の総理を目指すのでしょう。

今日はこの辺で。

映画「由宇子の天秤」「英雄の証明」

4月5日(月)はギンレイホールとシネマカリテをはしごで2作品鑑賞。いずれもなかなかの面白さで及第点。

日本映画「由宇子の天秤」は、テレビのディレクター兼学習塾の講師を勤める由宇子さんが、いじめ事件のドキュメンタリーを制作する途中で、学習塾を経営する父親が学習塾の生徒を妊娠したことを知り、真実を隠すべきか、それともいじめ事件の様に暗部を映し出す如く赤裸々に明かすべきかという、いわば天秤にかけるというジレンマを映し出す。TVディレクターとして真相を探ろうと関係者のインタビューを、関係者からの信頼を得て行い、上司のGOサインが出ていよいよオンエアとなることが決まるその時に、父親の不祥事を知ってしまう由宇子。父親の不祥事が明るみに出れば、父親の塾は廃塾となり、由宇子自身のディレクターとしての信用もなくなり、テレビオンエアもなくなるという瀬戸際に立ち、由宇子は妊娠した生徒を闇で堕胎することに奔走する。しかし、そこで待っていたのは最悪の事態であった。何ともやるせないドラマだが、父親のとんでもない不祥事には、由宇子ならずとも、その怒りは想像を絶するものがあった。由宇子役の瀧内公実が、大役を見事にこなしていたのが印象的でした。

イラン映画「英雄の証明」は、イランの代表的名監督であるアスガー・ファルハディー作品。借金を返せずに刑務所暮らしの主人公ラヒムには婚約者がいるが、その婚約者が金貨が入ったバッグを拾い、金貨を換金して借金を返すことにするが、思うような金額にならないこともあって、持ち主に返すことに。バッグを返したことが英雄的行為と話題になって、一躍慈善団体から英雄扱いされ、寄付金もたくさん集まる。しかし、当の貸主は、ラヒムの人間性を信じずに、やがて英雄ではなく詐欺師ともみなされるようになる。ラヒムは必死になってバッグを返した女性を探すが、どうしても見つからず、やがて婚約者をその女性に仕立て、それがばれて取り返しがつかなくなる。

喜劇のような悲劇のような不思議な作品なのだが、アスガー監督らしく、イラン社会の生活感を醸し出して、イランという国のおおらかさが垣間見える作品である。借金で刑務所に入っているが、謝金を返せば出所できるというシステムがあるイランの刑務所。ところがすでにラヒムは返す前から出所しているのが不思議なところ?(もしかしたら眠っていて見逃したかも)。こうしたおおらかな刑事司法システムもイラン独特なものなのか。

今日はこの辺で。